夢の国ハワイの昔話

ハワイには長く口承されてきた昔話があります。ここでは、それらを少しずつご紹介していきます。

139 プウペヘの墓:(1) ラナイ島南西部


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(新しいお話の始め)

有名な伝説の地

ハワイには、古い歌や昔話で有名な、興味深い伝説の地が幾つもあります(*1)(N.1)。
そのうちの一つがラナイ島の南西部にあり 、「クパパウ・オ・プウペヘ」、すなわち 「プウペヘの墓」 の名で知られています(N.2)。

 

 

島の風下側海岸にあるその場所には、巨大な赤い溶岩の塊が見えています(N.3)。

その高さ約25m、直径は20mほどで、海の中から突き出ており、本土の陸地からは100mほど離れています。

 

 

このあたりが、これからお話する伝説の舞台の中心です。

 

岩塊上に少女が眠る

このプウペヘを見下ろすように、陸地から断崖絶壁が張り出しています。

そこからあの岩塊、海面から突き出した小島の、天辺(てっぺん)を良く観察してご覧なさい。

 

 

低い壁のように石を並べて、小さな囲いが造られているのに気付くでしょう。

これこそが、あるハワイの少女の永眠の地だ、と言われています。

 

そして死体をここに埋めたのは、彼女が愛するラナイ島の戦士マカケハウでした。

 

プウペへとマカケハウの悲哀

プウペへはウアウアの娘でした。

彼は心の狭い首長で、マウイの王の従者の一人でした。

 

その彼の娘プウペへが、若きマカケハウに奪い取られてしまいました。

そうです、彼は愛と戦いの両方で勝利をおさめて、彼女を獲得したのです。

 

プウペヘのカニカウすなわち追悼歌の中では、2人は互いに相手を恋の虜(とりこ)にしたように、描かれています。

(次回に続く)

 

(ノート)

(N.1) (執筆者)ギブソン (W. M. Gibson):

このお話が初めて英文で掲載されたのは、1867年3月発行 の新聞ハワイアン ガゼット(The Hawaiian Gazette)で、執筆者はギブソンさん(Walter Murray Gibson)と言われています。

ギブソンさんは1822年に英国で生まれ、1861年に宣教師としてハワイに渡りましたが、ラナイ島の用地買収にからんで教会から破門されてしまいました。

その後、政治家活動に転じカラカウア王の下で総理大臣など要職につくも、国王権力の衰退と共に力を失い、1888年に米国本土で亡くなりました。

 

 

(N.2) プウペヘの墓 (Tomb of Puupehe): 「プウペヘの墓」は、「プウペへのプラットフォーム(Puʻupehe Platform)」 、「プウペへ」などと呼ばれます。また、旅行ガイドなどでは「スイートハート・ ロック(Sweet Heart Rock)」 とも呼ばれます。

(N.3) 風下 (leeward):

ハワイ諸島は北半球の貿易風圏内にあるため、常に北東の風が吹いています。人々はこの風をベースにして、島の北東部を風上(windward)、南西部を風下(leeward)と呼んでいます。「プウペヘの墓」は、島の南西部にあるので風下です。

 

(注記)

(*1) Thomas G. Thrum(1907): Hawaiian Folk Tales, 16. The Tomb of Puupehe, A Legend of Lanai, From "The Hawaiian Gazette", p.181-185.