(前回からの続き)
荒れ地がカロ水田に変わる
その後、カウアワアヒラ(男の子)は、カロ(タロ)の畑を幾区画か作りました(*1)。
人々は豊かな水に魅せられ、また、その水のお陰で肥沃になった、土地に魅せられました。
そして次々とこの地にやって来ては、あちらこちらに住み着くようになりました。
彼らは双子の子供たちに申し出て、2人を首長と仰ぎつつ、農夫として働いたのでした。
次々と荒れ地が開墾され、カロ水田が作られて行きました。
こうしてこの地は、新しい入植地として栄え始めたのでした。
そのなかで男の子が造った泉は、「カ・プナホウ(新しい泉)」として知られるようになりました(N.1)。
そしてこの名は入植地だけでなく、その周囲ににも知れ渡って行きました。
父が義母の虐待を知る<
ちょうどその頃、双子の子供たちの父カハアケアが、ハワイ島から戻って来ました。
そして、彼はこんな噂(うわさ)を耳にしたのでした。
「彼が愛する子供たちは、ずーっと義母に虐待され続けていた。」
これを聞いた彼は義母ハウェアを殺すと、彼自身も自殺してしまいました。
今も残る 「ロッキー・ヒル」 と 「ハウェア」
「ロッキー・ヒル」は、子供たちの第2の故郷とも言える、あの岩肌の丘の名前です。
この名前は、子供たちの父の頑強な意志、に因(ちな)んで付けられました。
今でもこの丘は、この名前で人々に知られています。
一方、「ハウェア」 は、子供たちの義母の名前です。
しかしハワイアンの心の中では 、この出来事以来、「残酷な義母」を意味する語になっています。
(次回に続く)
(ノート)
(N.1) カ・プナホウ (Ka Punahou) :
カ・プナホウはハワイ語で、カ(ka)は定冠詞です。プナホウ は 合成語で、プナ(puna)は「泉」、ホウ(hou)は「新しい」 を意味します。従って、 カ・プナホウは 「新しい泉」 を意味します。
(注記)
(*1) Thomas G. Thrum(1907): Hawaiian Folk Tales, Ⅻ. The Punahou Spring. Mrs. E. M. Nakuina, p.133-138.