(前回からの続き)
虐待に耐え切れず家を出る
義母の虐待は次第にひどくなり、双子の子らは遂に耐えられなくなりました(*1)。
食べ物や衣服そして水を取り上げる、それだけではありませんでした。
ことあるごとに、彼らを軽蔑したり辱(はずかし)めたりしたのでした。
彼らは絶望の淵に追いやられ、コナフアヌイへと逃げました(N.1)。
そこは、「ヌウアヌのパリ」 上に聳(そび)える山の峰です。
ところが暫(しばら)くすると、冷酷な義母ハウェアに見つかり、追い払われてしまいました。
そこで彼らは、マノア渓谷の一番奥に行きました(N.2)。
義母は双子を連れ戻そうとした
義母は双子の子らが、日々の虐待から逃れていることに、大変怒っていました。
そこで彼らを見つけ出そうと、ありとあらゆる場所を捜し回りました。
そして遂に彼らを見つけたのは、あの虹のお陰でした。
マノア渓谷の一番奥にはいつも虹が架かり、それには雨と霧が付き物だったからです(N.3)。
子供たちは再び追い払われ、カアラヘ戻るように言われました。
そうすれば、常に義母の監視下にいることになるからです。
(次回に続く)
(ノート)
(N.1) コナフアヌイ (Konahuanui) , ヌウアヌのパリ( Pali of Nuuanu) :
ヌウアヌ渓谷の一番奥にある切り立った断崖絶壁が 「ヌウアヌのパリ」です。そのなかで、標高が一番高い地点(960m)が「コナフアヌイ」です。コナフアヌイは、オアフ島の東岸沿いに長く延びる、コオラウ山脈全体の最高峰でもあります。
(N.2) マノア渓谷 (Manoa valley) :
マノア渓谷はヌウアヌ渓谷のすぐ東隣に並んでいる谷です。
(N.3) 雨と霧 (rain and mist) :
双子の男の子は「ワアヒラの雨」、女の子は「山の霧」と呼ばれていました。ですから彼らを捜す時も、雨と霧が目印になったのでしょう。
(注記)
(*1) Thomas G. Thrum(1907): Hawaiian Folk Tales, Ⅻ. The Punahou Spring. Mrs. E. M. Nakuina, p.133-138.