新年おめでとうございます。
今年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
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(前回からの続き )
島の暮らしは健康的
文明の波がこの島々に押し寄せる前、人々の生活は健康的で清潔でした(*1)。
彼らはいつも水浴びをしては、穏やかなそよ風を楽しんでいました。
ですから、しなやかできびきびした手足は、頑強でぴかぴか輝いていました。
輝く皮膚には花輪がお似合い
彼らは、衣服で気を揉(も)むことはありませんでした。
丈が長くて汗をかくガウンなどは、身に着けなかったのです。
それどころか、彼らの滑らかでピカピカの皮膚が、太陽の光を跳ね返していました。
この皮膚こそが彼らに、あのように豊かで浅黒い魅力を与えたのでした。
恐らくこのような人々は、我々の衣服のどれをとっても長く着れないし、また生活して行けないでしょう。
彼らにぴったりの衣服は波の花、もしくは、木立の花や葉から作った花飾りなのです。
あたかもエデンの園
そよ風が、肌の褐色と木々の緑色を、心地良く混ぜ合わせます。
若々しく柔らで薄い琥珀色の頬(ほお)が、真っ赤な血液の流れで紅潮する中で、
彼女たちは、島々の匂いがする常緑樹の花輪で飾られるのです。
この光景を見たあなたは、それが私たち欧米社会の詩歌の世界と同じだ、と気付くでしょう。
そしてまたそれが、エデンの園にある甘い自然のままの優雅さ、であることを知るでしょう。
(次回に続く)
(注記)
(*1) Thomas G. Thrum(1907): Hawaiian Folk Tales. 15.Kaala and Kaaialii, A Legend of Lanai, W.M. Gibson, p.156-180.
(前回からの続き )
ひときわ輝くカアラ
この島々の恐れ多き大王の前に、大勢の若い女性たちが集まっていました(*1)。
そのなかで、ひときわ輝いていたのがカアラ、 「甘い香りの娘」でした。
彼女の15の太陽は、彼女の甘い褐色の顔を、柔らかい黄金色に輝かせ始めたところでした。
そして、彼女の大きくて丸い優しい目は、やがて衰え消えゆく炎を、未だ知りませんでした。
彼女は、木の葉のパーウーを身に着けていました(N.1)。
しかし、首や両腕など彼女の若い体はどこも、柔らかく艷(つや)やかに輝いていました。
その輝きは、あたかも夜空に昇りはじめた月のようでした。
フラグランス(芳香)の女
彼女の肌は、若さ溢(あふ)れんばかりに輝いていました。
そのほのかで健康的な匂いは、木立に咲き誇る花々と混じり合いました。
こうして彼女が漂わせる香りは、その名もふさわしく 「フラグランス」 と呼ばれました。
(次回に続く)
(ノート)
(N.1) 木の葉のパーウー (leafy pa-u) :
パーウーはハワイ語で、女性が腰に巻くサロン(腰巻)やスカートです。このパーウーの素材の中で最も一般的だったのは、カパ(kapa)と呼ばれる樹皮から作った布です。
一方、本文では "leafy pa-u"と記されているので、素材は木の葉です。木の葉の中でも最もポピュラーなのは ティー・リーフ(t-leaf)で、フラのスカートなどにも使われています。
(注記)
(*1) Thomas G. Thrum(1907): Hawaiian Folk Tales. 15.Kaala and Kaaialii, A Legend of Lanai, W.M. Gibson, p.156-180.
(前回からの続き )
島の産物を献上する
この戦士である王がカウノルにやって来ると、島民たちはどっと海辺に押し寄せて、大王に忠誠を誓いました(*1)。
そして彼らの国王の足元に、いつものように、この島で採れた数々の産物を並べました。
タロ、ヤム、ハラ、ココナッツ、オーヘロ、バナナ、そしてサツマイモ(N.1)。
人々は大王の倉庫の扉(とびら)の前に、山のように食物を積み上げました。
さらに、ポイを食べて太った犬や、2m近くもある豚が、群れをなして騒ぎ立てています。
花と香りで歓迎する
これらの、島で働く男たちからの献上物とは別に、女たちは花を飾り付けて、あたり一面に甘い香りを溢(あふ)れさせました。
うら若い女性たちは、ナーウーの花で作ったレイ、すなわち花輪を、頭から腰まで巻き付けていました(N.2)。
このナーウーはとても珍しいクチナシ属の花で、言わばラナイ島が誇る愛らしきジャスミンです。
その甘い香りが、そよ風に乗って運ばれています。
ですから、その香りをたどれば、遠く離れた所にあるナーウーの灌木でも、見つけることが出来るのです。
これらの花輪は、ピリを編んで葺(ふ)いた、大王の倉庫の壁に結び付けられました。
そして大王を取り囲んで立った、若い戦士たちの首に慎重にかけられて行きました。
また王族たちの額には、マイレの葉で作った香り高い王冠が巻き付けられました。
(次回に続く)
(ノート)
(N.1) タロ(taro), ヤム(yam), ハラ(hala), オーヘロ(ohelo) :
タロは英名であり、そのハワイ語名はカロ(kalo)、日本語名はヤマイモ、学名は"Colocasia esculenta"です。かつてのハワイでは、カロは主食ポイの材料となる芋であり、ハワイで最も重要な農作物でした。
ヤムは英名であり、ヤマノイモ属(Dioscorea) の中の塊根(かいこん)、すなわち「芋」を食用とする種の総称です。その中でも代表的な種が "Dioscorea alata" で、そのハワイ語名は ウヒ(uhi)、日本語名はダイジョです。ウヒはポイには適しませんが、保存がきく芋で鮮やかな紫色をしています。
ハラは、ハワイでは最も有用な植物の一つとされ、その葉は、マット、籠(かご)、帽子などの優れた材料でした。
オーヘロの赤い実は、可愛いだけでなく食用にもなります。
(N.2) ナーウー(na-u) :
ナーウー(na'u)は、クチナシ属(gardenia)に分類されるハワイ固有種のハワイ語名で、ナーヌー(nanu)とも呼ばれます。その学名は "Gardenia brighamii" です。白い花は強く甘い香りが特徴的で、レイにも使用されます。
(注記)
(*1) Thomas G. Thrum(1907): Hawaiian Folk Tales. 15.Kaala and Kaaialii, A Legend of Lanai, W.M. Gibson, p.156-180.
(前回からの続き )
カメハメハ大王がやって来た
この有名な漁場に、ハワイの偉大なる英雄がやって来ました。
この島や他の島々を制圧した彼は、深海に税を課そうと考えたのです。
彼は戦闘用のカヌーの艦隊を引き連れてやって来ました。
随行したのは、彼の忠実なコア、すなわち戦士たち、彼の一族である首長たち、神官たち、そして女性たち、さらには彼らの従者たちです。
断崖上の要塞から対岸を見下ろす
彼は、ここに家を持っていました。
岩だらけの断崖が、湾の東側にそびえています。
その断崖上にはパ、すなわち壁が、一部分だけ残されています。
そしてそこに散在する石は、かつての要塞が崩れ落ちたものです。
この要塞はかつて、湾の対岸にある神社、村、そして、湾を見下ろしていました。
スポーツ万能で戦いが大好き
カメハメハがここケアリアにやって来たのは、神に祈りを捧げるよりも、むしろスポーツのためでした。
マイカ ボール投げ、槍(やり)投げ、そして槍払いのどれ一つ見ても、
コハラの首長ほどに、これらを愛した人はいたでしょうか?
なおここで、槍払いとは、裸の胸をめがけて投げられる、沢山の槍を払い除けるスポーツです( N.1)。
サーフィンでいい波を見つけると、彼は喜んでそのトップに乗りました。
また嵐がやって来ると、彼は大喜びでカヌーを一人で操(あやつ)り、嵐に向かって沖に出ました。
彼は人間と戦ったように、深海の怪物たちとも戦ったのでした。
彼はこの湾内にたくさんいる、巨大なサメを捕まえました。
そしてまた、ウナギ目の魚やウミヘビを、彼の両手の物凄(ものすご)い握力で、捕まえたものでした。
このあたりの海では、これらの魚はとても生かしておけぬ存在である上に、他の魚や人間の手に負えぬ厄介者でした。
(次回に続く)
(ノート)
(N.1) 槍払い(thrust aside):
かつてカメハメハ大王は、彼に向けて同時に放たれた6本の槍を、見事に払い除(の)けたと伝えられています。
彼は飛来してきた3本の槍を、片手で受け止めました。また2本は、もう一方の手に掴(つか)んだ槍で叩(たた)いて、へし折りました。そして残りの1本からは、素速く身をかわしたのでした(*2)。
(注記)
(*1) Thomas G. Thrum(1907): Hawaiian Folk Tales. 15.Kaala and Kaaialii, A Legend of Lanai, W.M. Gibson, p.156-180.
(*2) Julie Stewart Williams(1992): Kamehameha The Great, Kamehameha School Press. p.38.
(前回からの続き )
カネアプアの岩
海辺では、とてつもなく大きな陥没に遭遇します(*1)。
自然界の何らかの激変により、断崖の先端部から巨大な岩塊がもぎ取られています。
もぎ取られた岩塊は、まるで孤立した塔のように海面から突き出ています。
海中にまで伸びた深い割れ目により、断崖の本体から切り離されたのです。
岩塊の高い壁面は、天辺(てっぺん)から外側に向けて突き出ています。
ですから、人間であろうが山羊(ヤギ)であろうが、その壁を登ることは出来ません(N.1)。
ところが、この隔絶された断崖を注意深く見ると、天辺(てっぺん)は平坦で、古い建造物、祭壇や壁の一部が見えて来ます。
それらは間違い無く、本島の神社の一部であり、かつてはその神社と一体だったものなのです(*2)。
しかし今では誰一人として、この岩塊の一番上まで行くことは出来ません。
張り出した壁面を登ることなど、出来るはずも無いのです。
漁場の魅力が人々を呼ぶ
神社よりも内陸側には、昔の人々が住んだ小屋の跡が数多くあります。
石造りの基礎、豚飼育用の囲い、円形の地下式オーブン、そしてその他にも、大勢の人々が居たことを示す色々な痕跡が、海辺から丘の斜面にかけての広大な地域に広がっています。
ここカウノル村は「神の住処(すみか)」 、として知られていました。
そしてまた「駆け込み寺」、命からがら逃げて来た人たちを受け入れる寺、でも知られていました。
しかしこの村が人々を引き付けた一番の理由は、漁場として有名だったからです。
そして、ハワイの海で変化に富む生活を楽しみたい人々で、ごった返していました。
(次回に続く)
(ノート)
(N.1) 山羊 (goat):
山羊は一般的に山岳地帯の岩場等を好み、人間が登れないような断崖でも、容易に登ることが出来ます。
(注記)
(*1) Thomas G. Thrum(1907): Hawaiian Folk Tales. 15.Kaala and Kaaialii, A Legend of Lanai, W.M. Gibson, p.156-180.
(*2) Boyd Dixon et al.(1955): Community Growth and Heiau Construction. Possible Evidence of Political Hegemony at the Site of Kaunolu, Lanai, Hawaii, Asian Perspectives, Vol.34,No.2, p.231-236.
(新しいお話の始め)
ラナイ島南西岸の遺跡
かつて、ラナイ島の南西岸にあるケアリアの地に隣接して、プウホヌアと呼ばれる駆け込み寺がありました(*1)(N.1)。
現在そこには古いヘイアウ、すなわち神社の跡があり、その地域一帯はカウノル遺跡と呼ばれています(N.2)。
その遺跡は、深く狭い渓谷の河口に広がっています。
渓谷の両側に伸びる断崖絶壁は、海の中にまで突き出ています。
その切り立った断崖に縁取られて、1つの湾が形成されています。
断崖上のクアハ(祭壇)
西側の断崖上には、石を敷き詰めた舞台があります。
人々はここを、クアハと呼んでいます(N.3)。
その外側には、狭い通路を隔てて分厚(ぶあつ)く高い壁があり、クアハを完全に取り囲んでいます。
その他の壁や建造物は、断崖上から下に向かって伸びています。
斜面はひな段状に整備され、石が敷き詰められています。
それは、海辺の石が潮流で摩耗して、丸みを帯びた辺(あた)りまで続いています。
(次回に続く)
(ノート)
(N.1) ケアリア (Kealia):
ケアリアはかつての行政区画アフプアア(ahupua'a)の名称です。そのケアリアのすぐ西隣にあったアフプアアがカウノルです。
(N.2) カウノル遺跡 (remains of Kaunolu)
カウノル遺跡は、現在、米国の国家歴史登録財に登録されています。詳細は、米国公園局(U.S. National Park Service)のホームページ内の "Kaunolu Village Site" を参照下さい。
(N.3) クアハ (Kuaha)
クアハは ハワイ語 "kuaʻaha" の短縮形で、祭壇を意味する語です(*2)。
(注記)
(*1) Thomas G. Thrum(1907): Hawaiian Folk Tales. 15.Kaala and Kaaialii, A Legend of Lanai, W. M. Gibson, p.156-180.
(*2) M. K. Pukui, S. H. Elbert(1986) : Hawaiian Dictionary, Univ. of Hawaii Press.