夢の国ハワイの昔話

ハワイには長く口承されてきた昔話があります。ここでは、それらを少しずつご紹介していきます。

150 カアラとカアイアリイ:(4) 山のような贈り物

(前回からの続き )

島の産物を献上する

この戦士である王がカウノルにやって来ると、島民たちはどっと海辺に押し寄せて、大王に忠誠を誓いました(*1)。

 

そして彼らの国王の足元に、いつものように、この島で採れた数々の産物を並べました。

  タロ、ヤム、ハラ、ココナッツ、オーヘロ、バナナ、そしてサツマイモ(N.1)。

 

人々は大王の倉庫の扉(とびら)の前に、山のように食物を積み上げました。

さらに、ポイを食べて太った犬や、2m近くもある豚が、群れをなして騒ぎ立てています。

 

花と香りで歓迎する

これらの、島で働く男たちからの献上物とは別に、女たちは花を飾り付けて、あたり一面に甘い香りを溢(あふ)れさせました。

 

うら若い女性たちは、ナーウーの花で作ったレイ、すなわち花輪を、頭から腰まで巻き付けていました(N.2)。

このナーウーはとても珍しいクチナシ属の花で、言わばラナイ島が誇る愛らしきジャスミンです。

 

 

その甘い香りが、そよ風に乗って運ばれています。

ですから、その香りをたどれば、遠く離れた所にあるナーウーの灌木でも、見つけることが出来るのです。

 

これらの花輪は、ピリを編んで葺(ふ)いた、大王の倉庫の壁に結び付けられました。

そして大王を取り囲んで立った、若い戦士たちの首に慎重にかけられて行きました。

 

また王族たちの額には、マイレの葉で作った香り高い王冠が巻き付けられました。

 

 

(次回に続く)

 

(ノート)

(N.1) タロ(taro), ヤム(yam), ハラ(hala), オーヘロ(ohelo) : 

タロは英名であり、そのハワイ語名はカロ(kalo)、日本語名はヤマイモ、学名は"Colocasia esculenta"です。かつてのハワイでは、カロは主食ポイの材料となる芋であり、ハワイで最も重要な農作物でした。

 

 

ヤムは英名であり、ヤマノイモ属(Dioscorea) の中の塊根(かいこん)、すなわち「芋」を食用とする種の総称です。その中でも代表的な種が "Dioscorea alata" で、そのハワイ語名は ウヒ(uhi)、日本語名はダイジョです。ウヒはポイには適しませんが、保存がきく芋で鮮やかな紫色をしています。

ハラは、ハワイでは最も有用な植物の一つとされ、その葉は、マット、籠(かご)、帽子などの優れた材料でした。

オーヘロの赤い実は、可愛いだけでなく食用にもなります。

 

 

(N.2) ナーウー(na-u) :  

ナーウー(na'u)は、クチナシ属(gardenia)に分類されるハワイ固有種のハワイ語名で、ナーヌー(nanu)とも呼ばれます。その学名は "Gardenia brighamii" です。白い花は強く甘い香りが特徴的で、レイにも使用されます。

 

(注記)

(*1) Thomas G. Thrum(1907): Hawaiian Folk Tales. 15.Kaala and Kaaialii, A Legend of Lanai, W.M. Gibson, p.156-180.

 

 

149 カアラとカアイアリイ:(3) 大王がやって来た

(前回からの続き )

カメハメハ大王がやって来た

この有名な漁場に、ハワイの偉大なる英雄がやって来ました。

この島や他の島々を制圧した彼は、深海に税を課そうと考えたのです。

 

 

彼は戦闘用のカヌーの艦隊を引き連れてやって来ました。

随行したのは、彼の忠実なコア、すなわち戦士たち、彼の一族である首長たち、神官たち、そして女性たち、さらには彼らの従者たちです。

 

断崖上の要塞から対岸を見下ろす

彼は、ここに家を持っていました。

 

 

岩だらけの断崖が、湾の東側にそびえています。

その断崖上にはパ、すなわち壁が、一部分だけ残されています。

 

そしてそこに散在する石は、かつての要塞が崩れ落ちたものです。

この要塞はかつて、湾の対岸にある神社、村、そして、湾を見下ろしていました。

 

スポーツ万能で戦いが大好き

カメハメハがここケアリアにやって来たのは、神に祈りを捧げるよりも、むしろスポーツのためでした。

 

イカ ボール投げ、槍(やり)投げ、そして槍払いのどれ一つ見ても、

コハラの首長ほどに、これらを愛した人はいたでしょうか?

 

なおここで、槍払いとは、裸の胸をめがけて投げられる、沢山の槍を払い除けるスポーツです( N.1)。

 

サーフィンでいい波を見つけると、彼は喜んでそのトップに乗りました。

また嵐がやって来ると、彼は大喜びでカヌーを一人で操(あやつ)り、嵐に向かって沖に出ました。

 

彼は人間と戦ったように、深海の怪物たちとも戦ったのでした。

 

彼はこの湾内にたくさんいる、巨大なサメを捕まえました。

 

そしてまた、ウナギ目の魚やウミヘビを、彼の両手の物凄(ものすご)い握力で、捕まえたものでした。

このあたりの海では、これらの魚はとても生かしておけぬ存在である上に、他の魚や人間の手に負えぬ厄介者でした。

(次回に続く)

 

(ノート)

(N.1) 槍払い(thrust aside):

かつてカメハメハ大王は、彼に向けて同時に放たれた6本の槍を、見事に払い除(の)けたと伝えられています。

彼は飛来してきた3本の槍を、片手で受け止めました。また2本は、もう一方の手に掴(つか)んだ槍で叩(たた)いて、へし折りました。そして残りの1本からは、素速く身をかわしたのでした(*2)。

 

 

(注記)

(*1) Thomas G. Thrum(1907): Hawaiian Folk Tales. 15.Kaala and Kaaialii, A Legend of Lanai, W.M. Gibson, p.156-180.

(*2) Julie Stewart Williams(1992): Kamehameha The Great, Kamehameha School Press. p.38.

 

 

148 カアラとカアイアリイ:(2) カネアプアの岩とカウノル村

(前回からの続き )

カネアプアの岩
海辺では、とてつもなく大きな陥没に遭遇します(*1)。
自然界の何らかの激変により、断崖の先端部から巨大な岩塊がもぎ取られています。

 

 

もぎ取られた岩塊は、まるで孤立した塔のように海面から突き出ています。
海中にまで伸びた深い割れ目により、断崖の本体から切り離されたのです。

岩塊の高い壁面は、天辺(てっぺん)から外側に向けて突き出ています。


ですから、人間であろうが山羊(ヤギ)であろうが、その壁を登ることは出来ません(N.1)。

 

ところが、この隔絶された断崖を注意深く見ると、天辺(てっぺん)は平坦で、古い建造物、祭壇や壁の一部が見えて来ます。
それらは間違い無く、本島の神社の一部であり、かつてはその神社と一体だったものなのです(*2)。

 

しかし今では誰一人として、この岩塊の一番上まで行くことは出来ません。
張り出した壁面を登ることなど、出来るはずも無いのです。

 

漁場の魅力が人々を呼ぶ
神社よりも内陸側には、昔の人々が住んだ小屋の跡が数多くあります。

 

 

石造りの基礎、豚飼育用の囲い、円形の地下式オーブン、そしてその他にも、大勢の人々が居たことを示す色々な痕跡が、海辺から丘の斜面にかけての広大な地域に広がっています。

 

 

ここカウノル村は「神の住処(すみか)」 、として知られていました。
そしてまた「駆け込み寺」、命からがら逃げて来た人たちを受け入れる寺、でも知られていました。

 

しかしこの村が人々を引き付けた一番の理由は、漁場として有名だったからです。
そして、ハワイの海で変化に富む生活を楽しみたい人々で、ごった返していました。

(次回に続く)

 

(ノート)
(N.1) 山羊 (goat):        
山羊は一般的に山岳地帯の岩場等を好み、人間が登れないような断崖でも、容易に登ることが出来ます。

 

 

(注記)
(*1) Thomas G. Thrum(1907): Hawaiian Folk Tales. 15.Kaala and Kaaialii, A Legend of Lanai, W.M. Gibson, p.156-180.
(*2) Boyd Dixon et al.(1955): Community Growth and Heiau Construction. Possible Evidence of Political Hegemony at the Site of Kaunolu, Lanai, Hawaii, Asian Perspectives, Vol.34,No.2, p.231-236.

 

 

147 カアラとカアイアリイ:(1) ラナイ島南西端の断崖

(新しいお話の始め)

ラナイ島南西岸の遺跡

かつて、ラナイ島の南西岸にあるケアリアの地に隣接して、プウホヌアと呼ばれる駆け込み寺がありました(*1)(N.1)。

現在そこには古いヘイアウ、すなわち神社の跡があり、その地域一帯はカウノル遺跡と呼ばれています(N.2)。

 

 

その遺跡は、深く狭い渓谷の河口に広がっています。

 

渓谷の両側に伸びる断崖絶壁は、海の中にまで突き出ています。

その切り立った断崖に縁取られて、1つの湾が形成されています。

 

 

断崖上のクアハ(祭壇)

西側の断崖上には、石を敷き詰めた舞台があります。

人々はここを、クアハと呼んでいます(N.3)。

 

 

その外側には、狭い通路を隔てて分厚(ぶあつ)く高い壁があり、クアハを完全に取り囲んでいます。

 

その他の壁や建造物は、断崖上から下に向かって伸びています。

 

斜面はひな段状に整備され、石が敷き詰められています。

それは、海辺の石が潮流で摩耗して、丸みを帯びた辺(あた)りまで続いています。

(次回に続く)

 

(ノート)

(N.1) ケアリア (Kealia):

ケアリアはかつての行政区画アフプアア(ahupua'a)の名称です。そのケアリアのすぐ西隣にあったアフプアアがカウノルです。

 

 

(N.2) カウノル遺跡 (remains of Kaunolu)

カウノル遺跡は、現在、米国の国家歴史登録財に登録されています。詳細は、米国公園局(U.S. National Park Service)のホームページ内の "Kaunolu Village Site" を参照下さい。

(N.3) クアハ (Kuaha)

クアハは ハワイ語 "kuaʻaha" の短縮形で、祭壇を意味する語です(*2)。

 

(注記)

(*1) Thomas G. Thrum(1907): Hawaiian Folk Tales. 15.Kaala and Kaaialii, A Legend of Lanai, W. M. Gibson, p.156-180.

(*2) M. K. Pukui, S. H. Elbert(1986) : Hawaiian Dictionary, Univ. of Hawaii Press.

 

 

146 プウペヘの墓:(8) マカケハウの哀歌

(前回からの続き)

プウペヘを墓に納める

マカケハウは亡き愛する人を、墓に納める作業を終えました(*1)。

そして彼女の墓の上に、最後の石を置きました。

 

彼はそれから両腕を広げると、プウペヘの死をこう嘆き悲しみました。

 

マカケハウの哀歌が響く

「 おー、プウペヘよ、一体どこに行ったのだ? 

マラウエアの洞窟の中?

 

おいしい水を持って来てあげようか?

あの山の水を。

 

ウアウを捕まえて来ようか?

それにパラの根、そしてオヘロの実を。

 

 

あなたは今、ホヌ(ウミガメ)を焼いているの?

それから、赤くて甘いハラの実も?

 

 

僕はマウイのカロを叩(たた)こうか?

一緒にヒョウタン容器に浸そうか?

 

鳥や魚は苦(にが)い、

そして山の水は酸(す)っぱい。

 

もう、それを飲むのはやめよう。

 

アイプヒと一緒に飲むことにしよう(N.1)、

あのマネレ湾に棲む巨大なサメと一緒に。」

 

海へ身を投げる

この悲しいうめき声がやむと直(す)ぐに、マカケハウは岩塊上から、沸き立つ大波の中に飛び込みました。

彼の体は大波や岩に叩(たた)き潰(つぶ)され、砕かれてしまいました。

 

この悲しい光景を見守っていた人々は、ズタズタになった遺体をしっかりと保護しました。

そしてこのマカケハウの遺体は、丁寧にマネレの墓地に埋葬されたのでした。

 

 

(終わり)

 

(ノート)

(N.1) アイプヒ(Aipuhi): 

「アイプヒ」とは巨大なサメの名前です。アイプヒが棲んでいた場所はプウペヘ(puupehe)の西隣で、現在は「サメの湾(Shark's bay)」と呼ばれる小さな湾でした。

このアイプヒは、サメの姿でこの世に現れた守護神だ、とも言われています(*2)。

 

(注記)

(*1) Thomas G. Thrum(1907):Hawaiian Folk Tales, 16. The Tomb of Puupehe,  A Legend of Lanai,  From "The Hawaiian Gazette", p.181-185.

(*2) Kepā Maly(2014): A Field Guide to Lana'i's  Storied Places, People, Resources, and Historic Events, Dec. 2014 v.2, p.108. 

 

 

145 プウペヘの墓:(7) 岩塊に道は無い

(前回からの続き)

彼女と2人だけにして

彼らは埋葬しようとして、彼女の遺体を準備しました(*1)。

そして、彼女をマネレの墓地に納めようとした、その時でした。

 

マカケハウが、強くこう願い出ました。

「もう一晩だけ、亡き愛する人と、2人だけにさせて下さい。」

 

こうして彼は望み通り、そこに残されました。

 

あの海の岩塊の上だ

ところが次の日、そこには遺体も無ければ、嘆き悲しむ恋人の姿も、見えませんでした。

 

人々が暫(しばら)く探していると、あの岩塊、海にぽつんと立つ塔の上に、マカケハウの姿が見えました。
彼はその天辺(てっぺん)で、黙々と石を積み上げていました。

 

驚いたラナイ島の人々は、近くの断崖上から、その様子を見つめていました。

また、何人かは海にカヌーを出して、柱状の岩塊の周囲を回りました。

 

岩塊に道は無い

それでもまだ、彼らは不思議に思っていることがあります。
なぜって、彼が岩の上まで登った道、の痕跡さえもなかったからです。

 

その上、岩の面はどこも皆、垂直に切り立っているか、そうでなければ海に突き出しているのです。

 

神に助けられた

そこで、古くからこんな風に信じられて来ました。

 

「ある種のアクア(神のような存在)、カネコア、もしくはケアウェマウヒリ(守護神)が、マカケハウの叫び声を聞いて現れたのだろう。

そして彼を助けて、死んだ少女と一緒に、岩塊の天辺(てっぺん)まで導いたのだ。」

 

 

(次回に続く)

 

(注記)

(*1) Thomas G. Thrum(1907):Hawaiian Folk Tales, 16. The Tomb of Puupehe,  A Legend of Lanai,  From "The Hawaiian Gazette", p.181-185.

 

 

144 プウペヘの墓:(6) プウペヘの死

(前回からの続き)

 

この中に愛する人がいる

しかし愛する人が、この沸き返り渦巻いている、大きな穴の中にいるのです(*1)。

その彼にとって、この荒れ狂う奔流が何だというのでしょうか?

 

一体全体、この沸き立つ泡の真っただ中で、何を確かめようと言うのだ!

 

上向きになって彼を見上げる彼女の顔?
愛(いと)おしく若々しい彼女の体?

 

いや、もはや、何もかもがぶち壊(こわ)され、息絶えた愛する人

 

荒れ狂う海に飛び込む

あなたなら、この瀬戸際で悶(もだ)え苦しむかも知れません。

 

しかしマカケハウは躊躇(ちゅうちょ)なく、この凄(すさ)まじいよどみの中に飛び込みました。

そして海の墓穴の入口から、嵐に殺された彼の花嫁を、力ずくで奪い取ったのでした。

 

人々がプウペヘの死を知る

その翌日、漁師たちはマカケハウの哀歌を聞きました。

そして同じ谷に住む女たちは、プウペヘの下にやって来て、彼女の死を嘆き悲しみました。

 

彼女らはプウペへを、華やかで新しいカパ布で包みました。

そしてその遺体の上に、香り高いナーウー(クチナシ属)の花輪を捧げました(N.1)。

 

 

(次回に続く)

 

(ノート)

(N.1) ナーウー(na-u): 

ナーウーはクチナシ属(Gardenia)の植物で、ハワイには3つの固有種(G.brighamii, G.mannii, G.remyi)が生育しています。このクチナシ属の植物は日本でも見ることが出来、その中の1種であるクチナシ(学名: G.jasminoides)は、強い芳香で知られています。

 

(注記)

(*1) Thomas G. Thrum(1907):Hawaiian Folk Tales, 16. The Tomb of Puupehe,  A Legend of Lanai,  From "The Hawaiian Gazette", p.181-185.