(前回からの続き)
養魚池は未完成だった
以前、ピーはメネフネたちに、こう話したこともありました(*1)。
「フレイア川の曲がった所を壁で囲んで、養魚池を造りたいんです(N.1)。」
そして真夜中近く、メネフネたちはその仕事に取りかかりました。
しかし夜明けが近づいても、養魚池の壁が満足出来るように、仕上がりませんでした。
メネフネたちは、未完成の養魚池を残して立ち去ってしまいました。
そして今でも養魚池は、そのままの状態で残っているのです。
(終わり)
(ノート)
(N.1) 養魚池 (fish-pond):
メネフネは 、ここでご紹介した「ピーの水路」だけでなく、他にも色々な構築物を残したと伝えられています。
なかでも「養魚池」は「ヘイアウ(神社)」と並ぶ代表的な構築物で、動物性蛋白質の安定供給に貢献しました。
ここで言うフレイア(Huleia)川の河口付近には「アレココ(Alekoko)養魚池」があり、国家歴史登録財(NRHP)に登録されています(*2)。
「メネフネ養魚池」とも呼ばれるこの養魚池は、メネフネが工事を始めたが途中でやめた、とも伝えられています。
(注記)
(*1) T.G.Thrum(1907): Hawaiian Folk Tales, X. Stories of the Menehunes, Pi's Watercourse Thos.G.Thrum, p.110-111.
(*2) NRHP Inventory - Nomination Form(1972): Name= Menehune Fishpond, Alekoko Fishpond.