(前回からの続き)
幸せなカハラオプナ
約2年の間、カハラオプナは夫と一緒に幸せに暮らしました(*1)。
そのなかで彼女の叔父は、カウヒがサメに姿を変えたことを知りました。
また、カウヒが執念深い性格であることに気付いていました。
そこで叔父は、彼女に強く言って聞かせましたました。
「たとえ何があろうとも、海には絶対に入るんじゃないぞ。」
しばらくの間、彼女はこの警告を覚えており、注意を払っていました。
ところがある日、夫と使用人の男どもが揃(そろ)って、出かけてしまいました。
彼らはカロ(タロ)の手入れをしようと、マノアにある畑に向かったのでした(N.1)。
こうして彼女は、自分の召使いたちと共に、家に取り残されてしまいました。
サーフィンの誘惑
その日の波は、サーフィンにはなかなか良さそうでした(N.2)。
そして何人もの若い女性たちが、波乗りを楽しんでいました。
カハラオプナの心に、彼女らと一緒に楽しみたいと願う気持ちが、強く湧き上がりました。
こうなると、あの叔父の厳しい警告も、すっかり忘れ去られてしまいました。
母が眠りにつくや否や、彼女は召使いの1人と共に、こっそりと家を抜け出しました。
そしてサーフ・ボードに乗ると、沖に向けて漕(こ)ぎ出しました。
サメになったカウヒに襲われる
カウヒにとって、これは絶好のチャンスでした。
彼女がサンゴ礁のかなり外側の沖まで来た、その瞬間です。
彼は彼女の体に咬みつくと、真っ二つに食い千切ってしまいました。
それから彼女の上半身をくわえると、高々と水面上に掲げたのでした。
カウヒは、全てのサーファーたちに、彼女の噛み切られた体を見せつけたかったのです。
そして、彼が遂に復讐(ふくしゅう)を成し遂げたことを、人々にアピールしたかったのです。
(次回に続く)
(ノート)
(N.1) カロ(kalo) :
カロは、かつて主食だったポイ(poi)の材料として、古くからハワイで栽培されて来ました。他のポリメシア諸国や英語ではタロ(taro)の名で親しまれており、ハワイでもタロと呼ばれることがあります。日本語名はサトイモ(里芋)、学名は"Colocasia esculenta"です。
(N.2) サーフィン(surf-riding) :
サーフィンは、かつてのハワイでは最もエキサイティングなスポーツの一つでした(*2)。
厳しい階級社会にもかかわらず、王(king)、首長(chief)から平民(commoner)に至るまで幅広く人気がありました。
そこでは男も女も、そしてあらゆる年齢層の人々が、地域ぐるみでサーフィンを楽しみました。
(注記)
(*1) Thomas G. Thrum(1907): Hawaiian Folk Tales, Ⅺ. Kahalaopuna, Princess of Manoa. Mrs. E.M. Nakuina, p.118-132.
(*2) David Malo(1898): Hawaiian Antiquities, translated by N.B.Emerson, Honolulu Hawaiian Gazette, p.293-294.